【親子絶縁の真相】長嶋茂雄の家族構成を公開!

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野球界のレジェンドであり、ミスタージャイアンツと呼ばれ、一線を退いた今でも国民から賞賛され、注目を浴びる長嶋茂雄さんですが、彼には奥様である亜希子さんと4人のお子さんがいらっしゃいます。

今や情報番組のコメンテーターとしてのみならずバラエティー番組でも人気の長嶋一茂さんもそのうちのおひとりですが、長嶋一家には絶縁状態であることや相続争いなどのうわさがあります。

噂は本当なのでしょうか。

この記事ではその噂の真相について調べてみました。

どうぞ最後までご覧ください。

長嶋茂雄の結婚前の家族構成

長嶋茂雄さんは、1936年(昭和11年)2月20日に千葉県印旛郡臼井町(現・千葉県佐倉市)で生まれました。

ご家族は、両親と兄1人、姉2人、茂雄さんの6人家族です。

ご自身は1965年に結婚しており、息子2人、娘2人に恵まれています。

長嶋茂雄の父親は女形スターの利さん

日本人で知らない人はいない長嶋茂雄さんですが、そんな彼のお父さまは長嶋利(ながしまとし)さんという名前です。

お父さまの職業は農家でしたが、土地を人に貸し、父親は地元の臼井町役場の収入役や助役をされていたようです。

助役や収入役といえば、市役所や町役場のなかでは、市長や町長の次に偉い役職ですので、当時から長嶋家はかなりの資産家だったのかもしれません。

ですが、お父さまは実は若いころは女形を演じた村芝居のスターだったようです。

人々を惹きつける長嶋さんの野球はお父さまの才能を譲り受けたものかもしれませんね。

そんな様々な顔を持つ利さんですが、長嶋茂雄さんが立教大学に入学した直後の1954年6月に急逝されています。

そのころに大学を中退することも考えた長嶋茂雄さんですが、お母さまに反対されたことで思いとどまり、その後家族の支えもあり、無事卒業まで大学に通い続けることができたそうです。

長嶋茂雄の母はちよさん

長嶋茂雄さんの母親の名前は、長嶋ちよ(ながしま・ちよ)さんです。

長嶋茂雄さんの幼少期の日本は、物資が乏しかったのですが、野球を頑張る長嶋さんのため、お母さまはグローブやボールを手縫いで作成してくれていたようです。

その後、大学入学後直後にお父さまが亡くなった際に、大学を辞めて働くことを伝えたのですが、お母さまは「途中で辞めるな!」と激怒し、野菜の行商人をして自ら家計を支えたとのこと。

そしてプロ入りの際、実は南海ホークスの入団話が進んでいた長嶋茂雄さんですが、読売ジャイアンツは長嶋さんの家族を説得

お母さまは、せめて在京の球団にしてほしいという思いがあり、それがきっかけで長嶋茂雄さんは読売巨人軍に入団することになりました。

そんなお母さまですが、第二次監督時代の1994年に亡くなっています。

お母さまの手作りのグローブを使っていたという長嶋茂雄さん、心温まるエピソードですね。

長嶋茂雄は4人兄弟の末っ子だった

長嶋茂雄さんは、4人兄弟の末っ子です。

長姉の春枝さん

一番上のお姉さまは枝さんと言います。

一般人のため、お姉さまに関する情報の詳細はありませんでした。

長兄の武彦さん

武彦さんは長嶋茂雄さんの7歳年上です。

長嶋茂雄さんが野球を始めるきっかけになったのは、この武彦さんとのこと。

お兄様がもともと野球をされており、よく茂雄さんを連れて練習に連れて行ったようです。

茂雄さんはのちに茂雄さんが所属することになる「ハヤテ・クラブ」に所属しており、1番・レフトを任され、俊足・強肩の外野手だったそうです。

武彦さんがいなければ茂雄さんが野球を始めることはなかったのかもしれないですね!

次姉の藤枝さん

2番目のお姉さまは藤枝さんといいますが、藤枝さんも一般人のため、詳しい情報はありませんでした。

長嶋茂雄の妻は亜希子さん

長嶋茂雄さんは、1965年に結婚しています。

奥様の名前は、長嶋亜希子(ながしま・あきこ)さん。

1943年(昭和18年)1月5日生まれなので、長嶋さんより7歳年下になりますね。

奥様の亜希子さんは、東京都渋谷区に生まれました。

田園調布雙葉中学校・高等学校在学中に、米国へ留学し、現地の高校とミネソタ州の聖テレサ大学を卒業されました。

祖父は出版社・東雲堂書店を経営し、文学史に残る歌集を数々出版。父親も内外出版社の代表を務めており、亜希子さんは社長令嬢でした。

長嶋茂雄の妻。亜希子ってどんな人?

アメリカ留学を経験された亜希子さんは、英語のみならず、スペイン語やフランス語も堪能だったようです。

今では留学経験がある方は多くいますが、当時のことを考えるとかなりの才女だったことがうかがえます。

そんな彼女は、長嶋さんと結婚した後は極力表には出ることなく、長嶋さんやご家族のサポートに専念されていました。

それは、長嶋茂雄さんのモットーだった「男の職場に顔出すな」を忠実に守っていたためです。

亜希子さんのプロフィール

本名・長嶋亜希子(旧姓:西村亜希子)

生年月日・1943年(昭和18年)1月5日

出身地・東京都渋谷区生まれ

学歴・田園調布雙葉中学校、高校在学中に米国へ留学し現地の高校を卒業、ミネソタ州の聖テレサ大学卒業

亜希子さんの経歴

1964年の第18回東京オリンピックでは、その語学力を活かし、コンパニオンとして活躍をされていました。

結婚後は、長嶋さんの個人事務所である株式会社オフィスエヌの代表取締役を務め、公私ともに茂雄長嶋さんのサポートをしていました。

長嶋茂雄と亜希子さんの馴れ初め

長嶋茂雄さんと亜希子さんは、亜希子さんがコンパニオンをしていた当時、報知新聞の「ON五輪をゆく」という企画で、王貞治(おう・さだはる)さんと長嶋さんと対談をしました。

それをきっかけに長嶋さんが亜希子さんに一目惚れ。

その後1964年11月26日に40日でスピード婚約、100日後の1965年1月26日には結婚式を挙げたです。

出会って40日で婚約をするなんて、長嶋さんの本気度だけでなく、亜希子さんが長嶋さんに対してかなり好印象をお持ちだったことがわかりますよね!

一人の男性にここま熱烈なアタックをされるなんて女性としては憧れですよね。

亜希子さんとのお別れ

2007年9月17日、長男・長嶋一茂夫妻と食事をするため外出した妻・亜希子さん。会食後に体調不良を訴え、入院することになりました。

夫である長嶋茂雄さんなど家族が駆けつけましたが、そのまま意識が戻らず翌日の 2007年9月18日に亡くなりました。64歳というあまりにも早すぎる死です。

突然のご家族とのお別れに残されたご家族のお気持ちは計り知れません。。。

長嶋茂雄の子供は4人

1965年に結婚したお二人はその後、男2人・女2人の合計4人のお子様に恵まれています。

長嶋茂雄の長男はタレントの一茂さん

長嶋茂雄さんの第1子であるご長男は、タレントとしても人気の長嶋一茂(ながしま・かずしげ)さんです。

1966年(昭和41年)1月26日生まれになります。

お二人がご結婚された翌年にお生まれになっています。

プロフィール

本名・長嶋一茂(ながしま かずしげ)

生年月日・1966年(昭和41年)1月26日

出身地・東京都大田区

学歴

白根開善学校中等部に入学、2年から田園調布中学校に通い、高校は立教高等学校(現:立教新座高等学校)に進学、卒業後は立教大学に進学されています。

経歴

小学生の頃にお父さまである長嶋茂雄さんに憧れて野球を始めるものの、小学校5、6年生の時に「長嶋茂雄の息子が入ってきた」などと騒がれ、リトルリーグにテレビカメラが来たこともあり、300人から400人の子供が入団したことをきっかけに一度野球をやめてしまったようです。

その後、中学に進学後は陸上部に入ったのですが、お父さまが巨人の監督の座を追われた中学3年生の頃に「おやじの仇討ちは俺がやる」と言い、鉛筆やカバンや廊下の壁に「リベンジ」という文字をカッターナイフで彫り、再び野球の道へと戻ったようです。

そして高校に入り、野球部に入部するも、小学校以降野球をしていなかった一茂さんはキャッチボールもできなくなっていたため、かなり苦労をされたようですが、そこから努力を重ね2年の秋には四番を打つほどにまで成長したとのこと。

大学では、1年生時からレギュラーとなり、4年生の時は主将で四番打者をつとめ、二期連続でベストナインに選ばれました。

そして、1987年のドラフト会議では、ヤクルトから1位指名をされ、プロ野球選手になりました。

5年間ヤクルトに在籍し、その後金銭トレードで父が監督をつとめる巨人に移籍しました。

ジャイアンツでは4年間プレーし、引退後タレントに転身されました。

長嶋茂雄の次男は元レーシングドライバーの正興さん

長嶋茂雄さんの次男(第4子)は、一茂さんより4歳(5学年)年下です。

現在は、環境管理士などの資格を取得し、環境活動家として活躍されていますが、以前はレーシングドライバーとして活躍をされていました。

プロフィール

本名・長嶋正興(ながしま まさおき)

生年月日・1970年(昭和45年)9月26日

出身地・東京都大田区

学歴

長島正興さんはアメリカ留学などを経て暁星国際高等学校を卒業しています。そして駒澤大学経済学部経済学科に進学をしました。

アメリカに留学をしていた、帰国子だそうです。

経歴

駒澤大学経済学部経済学科在籍中である、1992年からレース活動を始めから、レーシングドライバーとしてデビューされました。野球界の超有名人である長嶋茂雄さんの次男の長島正興さんが、レーシングドライバーを目指すきっかけとなったのは、お父さまだったようです。

長嶋茂雄さんがIndy500を観戦した時のお土産がきっかけとなり、長島正興さんはレーシングドライバーを目指したと言われています。

レーシングドライバーとしてデビューをした後は、数々のレースで好成績を残しておられます。フォーミュラ・トヨタ、全日本F3選手権、全日本GT選手権など、参加できるレースには積極的に参加されていました。

全日本GT選手権GT300クラスでは優勝も経験され、2003年にはスーパー耐久クラス3シリーズチャンピオンにも輝きました。

その後、2008年から環境に関する仕事をはじめ、その後、レーシングドライバーを引退。

現在は環境に関する分野で活躍をされていらっしゃいます。

主には、エコドライブの講習会や環境と車に携わる仕事のようです。

レーシングドライバーとして活躍をしていた方の話す環境と車についての講習やエコドライブはかなり興味深いですよね。

長嶋茂雄の長女は有希さん

長嶋茂雄さんの長女(第2子)の名前は、有希さん。

有希さんは長嶋さんの資産管理会社『オフィスエヌ』の役員をつとめていましたが、2010年10月に解任されているそうです。

一般人のため、詳しい情報はなし

有希さんに関しては、茂雄さんをはじめとするご家族からも語られることがなく、ご本人もテレビなどのメディアに出ることがないため、あまり情報がありませんでした。

障害者とのウワサが出たのはなぜ?

長女の有希さんについて調べてみると、障害者という噂があることがわかりましたが真偽は不明です。

ではなぜそのような噂が出たのでしょうか。

それは、有希さんが社会福祉法人の「こころみ学園」が運営する農場「ココファーム」に通っているという情報があるからのようです。

こころみ学園とは?

有希さんの通っているとされている「こころみ学園」とはどういった場所なのでしょうか。

こころみ学園は栃木県足利市にある、重度の障害を持った方が生活し、自立支援をする場として設立されたようです。

椎茸の原木栽培や葡萄の栽培を中心とした日中活動支援をし、「ココ・ファーム」ではワインの醸造などを行っているそうです。

長嶋茂雄の次女はスポーツキャスターの三奈さん

長嶋茂雄さんの次女(第3子)はスポーツキャスターとして活躍される長島三奈さんです。

プロフィール

本名・長嶋三奈(ながしま みな)

生年月日・1968年(昭和43年)6月3日

出身地・東京都大田区

学歴

お母さまの亜希子さんと同じく田園調布雙葉中学校・高等学校を経て、日本大学文理学部哲学科を卒業されています。

経歴

三奈さんは、日本大学文理学部哲学科を卒業後、1991年にテレビ朝日に入社しています。

入社後はスポーツ局所属の記者として活動し、『ニュースステーション』のスポーツコーナーや『長島三奈の熱闘!スポーツM18』でキャスターを務め、1998年から2013年までの15年間、夏の全国高等学校野球選手権大会のダイジェスト番組『熱闘甲子園』のメインキャスターを務めていました。

2000年3月にテレビ朝日を退社していますが、2001年2月に契約社員として復帰されました。2014年1月31日付で契約が終了していますが、その後はフリーで活動し、テレビ朝日系『アメトーク高校野球大好き芸人』やTBS系『独占!長嶋茂雄の真実~父と娘の40年物語~』などのバラエティー番組にも出演しています。

そのほかにもスポーツ関連の番組に多く出演され、スポーツキャスターとして活躍をされています。

また、母親の亜希子さんの死去後は、父親の個人事務所「株式会社オフィスエヌ」の代表取締役も務めていらっしゃいます。

結婚はしていない

三奈さんはこれまで一度も結婚したことがなく、現在も独身で、子どももいらっしゃいません。

過去には、テレビ朝日の50代の局員と10年近く交際していたことがあったそうですが、その後、結婚したという話はなく、現在も独身で、この局員と続いているのかも不明です。

2004年にお父さまである長嶋茂雄さんが倒れた際に三奈さんが茂雄さんの身の回りのお世話をすることになり、忙しくなったことで破局したのでは?思われた時期もあったようですが、交際は続いていたようです。

その後結婚するのでは?という噂もあったものの、三奈さんは、結婚するのはテレビでの露出を辞めた時点でと考えていたようです。

長嶋茂雄の教育方針

4名のお子さんがそれぞれ自身の活躍の場を持ち、そこで大きな結果を残している長嶋家ですが、そんなお子様を育て上げた長嶋家の教育方針はどういうものだったのでしょうか。

長嶋家の教育方針について調べたところ、「本人が無理だと気づくまで、何でも自由にやらせておく」というものだったようです。

そのため、一茂さんが幼少期の頃には、秘密基地を作ろうと、ドレッサーの後ろの壁にのこぎりで穴を開けたり、ベランダを水浸しにし、そこで熱帯魚を飼おうとしたりと様々なことをしていたようですが、一度も怒られたことがなかったようです。

今でも人と違う発想や発言で人を驚かせる一茂さんは、幼少期から自由に育てられたからなのですね!

長嶋茂雄と長男・一茂は絶縁状態!なぜ、そうなったのか?

ここまで長嶋茂雄さんはじめ、一茂さんやごきょうだいについて調べてみましたが、現在茂雄さんと一茂さんが絶縁状態にあるというのです。

幼少期の頃はお父さまに憧れて野球を始めたり、父が監督を務める野球チームで活躍をしたりしていたのに、絶縁状態とは、いったい何があったのでしょうか。

長嶋さんと一茂さんの間には、長嶋さんの商標登録やグッズ売却を巡る問題があったそうです。

お母さまである亜希子さんが亡くなってから2年後の2009年に、一茂さんはお母さまの遺品(パスポートや衣類など)を実家の地下室から持ち出すほか、長嶋さんのトロフィーや天覧試合の写真など、長嶋さんゆかりのグッズなどの一家の私物、約1000点を家族の許可なく福井県のミュージアムに売却したようです。

また、一茂さんの個人事務所で、長嶋さんの肖像権の管理やマネジメントを行っていた「ナガシマ企画」が「長嶋茂雄」という名前の商標登録を取得したことから、一茂さんと、次女の三奈さんが対立するようになっていたそうです。

もともと「長嶋茂雄」の商標登録は、三奈さんが代表を務める「株式会社オフィスエヌ」が取得していたのですが、「オフィスエヌ」の「長嶋茂雄」の商標期限が切れた時、一茂さんの個人事務所「ナガシマ企画」が、「長嶋茂雄」の商標を無断で登録したのだそうです。

これらをきっかけに一茂さんと家族の関係がこじれ、現在に至るまで関係の修復はされていないようです。

一茂さんからは実家に連絡をしてみたり、子どもの写真を送ったりしたこともあるようですが、一切返事はなく、現在は相続放棄もしているということ。

新たに確執が生まれることはなさそうですが、日本中誰もが知るビックネームのご家族ですから、いつか関係が少しでも修復されるといいですよね。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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